【国際教養大学】リトアニア留学の話 第三弾 リトアニアの良いところ 日本とのつながり!
はろー!しょーみんです!
本日は留学編、第三弾ということで、引き続き国際教養大学在学中に留学した、リトアニアの良いところを紹介していきます!
さて、リトアニアと言えば首都は「ビルニュス」なるところなのですが、私が留学していたのはそこから電車で1時間半ほどのカウナスという町でした。
都市というほど大きなところではなく、どちらかというとのんびりした町という感じでしたが、リトアニアでは第2の都市として有名です。
さて、リトアニアの良いところとして、日本とのつながりと題しましたが、私が留学していたのが首都のビルニュスではなくカウナスであると聞けば、世界史が得意な方ならピンとくるかもしれませんね。
杉原千畝がつないだ架け橋
杉原千畝とは?
皆さん、杉原千畝(すぎはらちうね)という人物をご存知でしょうか。杉原千畝は第2次世界大戦中、リトアニアのカウナス領事館に赴任していた外交官です。
当時のリトアニア、カウナス
当時のカウナスはソ連軍に占領されていました。リトアニアという国自体、位置的にはドイツとソ連の間にあり、東西含めたヨーロッパとソ連のにらみ合いの真っただ中にいました。
カウナスに流れ込んだユダヤ系難民
ナチスドイツがユダヤ人を迫害していたことはご存知かと思います。ドイツがポーランドを占領したのち、ポーランドにいたユダヤ人たちはリトアニアのある東方、ひいてはロシアのシベリア鉄道経由で極東に向かう道しか残されていなかったのです。
ロシア極東へ向かったのち、他国へ逃れるために経由しなければならない国があります。日本です。彼らには日本の通貨ビザを、日本の領事館で発行してもらう必要がありました。
国家を置いても人道を貫いた千畝
ここまで聞くと、「ビザ発行してあげればいいじゃん」と思ってしまうものですが、当時の日本の状況からするとそれは非常に難しいことでした。
日独伊三国同盟
というのをご存知でしょうか。日本とドイツとイタリアが「日本はアジア、ドイツとイタリアはヨーロッパの支配的立場になるからお互いに邪魔しないでおこう」といった三国の取り決めです。
そんな中、千畝がユダヤ人へ通貨ビザを発行すれば、ドイツとしては面白くありません。当時ドイツは世界恐慌の原因をすべてユダヤ人に押し付けていたわけですが、「仲よくしようって言ってたのに、なんでユダヤ人を逃がすんだ」と言われかねない、非常に緊張した軍事関係にあったのです。
国家こそが道徳であった時代ですから、国策に反する行為を行うことは非常に勇気のいることだったでしょう。(実際に千畝がいたときはまだ日独伊三国同盟に関しては準備段階だったといわれていますが)しかし、千畝はそれを実行しました。カウナスの領事館を訪れるユダヤ人たちにビザを発行し続け、帰還命令が出る中、帰路に就いた列車の中でもビザを書き続けたのです。最終的に6,000人に上る避難民を救ったことで、現在では「東洋のシンドラー」などと呼ばれたりもします。
杉原記念館
当時千畝が領事館として住んでいた場所は今でもリトアニアのカウナスにあり、記念館として開放されています。
私がカウナスに在学中はここの1階に当たる場所で、毎週金曜日の夜にリトアニア人とクラブ活動を行っていました。日本のことを教えたり、リトアニアのことを教えてもらったりと非常に良い経験になりました。
杉原千畝の元領事館は今ではスギハラハウスと呼ばれています。これはスギハラハウスの裏手で撮った写真になります。実際に千畝が助けたのはユダヤ系の人たちでしたが、その事実を多くのリトアニア人が知っていること、それを日本のこととして共有できたことはとても大きな財産になったと今では感じます。
今ではクラブはもうスギハラハウスで活動はしていないそうです。しかし、元領事館はまだ記念館としてオープンしているそうなので、ぜひ行ってみてください!
まとめ
一番大きな話題として杉原千畝を中心にお話ししましたが、実際にはほかにも多神教であったりするところや、意外と根暗な国民性であるところ(笑)だったりと、共通点は多いです笑
是非、リトアニアの歴史などについても下調べしていってみると、きっと楽しいと思います!
以上、この記事が皆さんの参考になれば幸いです。